こんにちは、青山です。
今回はプールの底に眠る(著:白河三兎)のレビューとなります。
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「プールの底に眠る」のあらすじ
13年前の夏休み最終日、僕は「裏山」でロープを首に巻いた美少女を見つける。自殺を思いとどまった少女は、私の命をあなたに預けると一方的に告げた。それから7日間、ばらばらに存在する人や思いや過去が繋がりはじめた。結末は何処に?切なさと驚きに満ちた鮮烈デビュー作。(裏表紙より)
読んでいるのではなく、読まされている?
これは第四十二回メフィスト賞受賞作です。
私はメフィスト賞を受賞した作品が好きです。
以前にもお話ししましたが、森博嗣さんの「すべてがFになる」を読んで感激して以来、メフィスト賞受賞作品を読み漁っています。
“第二の森博嗣”を求めているのです。
まあ、未だに現れませんが……。
それはさておき、この作品は、私が求めていたベクトルとは違うけれど、予想外に私を楽しませてくれました。
まず、この作品は一行目から異様な雰囲気を漂わせていました。
『眠れない夜にイルカになる』
???ってなりましたね。
皆さんもそうだと思います。
この後にすぐ『自分がイルカになって泳いでいる姿を想像する』と続くので、そういうことね、と納得しかけるのですが、何故、イルカになった自分を想像するんだ?
そうすれば眠れるようになるのか?
そもそも、どうしてイルカなんだ?
と、疑問が次々と浮上してきます。
その答えを知りたくてページをめくっていくのですが、なんかこう、自分の意志でそうしている感覚がないんですよ。
私の指を動かしているのは私ではなく、私の指を借りた何者かであるような……。
読んでいるというよりも読まされているといった方が正しい気がします。
どうしてこんな感覚になるのか私にもさっぱりわからないのですが、とにかく、異質な作品ですね。
技巧が優れすぎているのか?
ただまあ、わからないものをわからないままにしておくのが嫌な性分なので、私なりに考察してみました。
(私が能動的に)読んでいるのではなく(誰かに受動的に)読まされているとしたら、私は一体、誰に読まされているというのか?
幽霊とか宇宙人とか、そういったオカルトなものがいくつか頭に思い浮かびましたが、そうじゃないでしょう。
だとしたら、考えられるものとしてもっとも確率が高いのは、この作品の著者その人でしょうね。
著者の文章の構成とかキャラクターの造形とか言い回しとかが優れていて、≪はやく続きを読みたい≫と私に思わせることにより、私の脳が指に≪ページをめくれ≫という指令を出すよりも速く、指がもうページをめくっているような(実際には指令よりも速く指が動くことはないが)、そんな感じなんですかね。
そう考えるとしっくりきます。
正しいかどうかわかりませんがね。
それにしても、巧いのは確かです。
読者に想像させる部分と細部まで語る部分の配分が絶妙なバランスを保っていて、読んでいて飽きないです。
こういう作品のことを“ページターナー”(注1)っていうんじゃないでしょうか?
注1:早く続きを読みたくなるような面白い本。