こんにちは、青山です。
今回は八月の青い蝶(著:周防柳)のレビューとなります。
「八月の青い蝶」のあらすじ
きみ子は広島県の西端にあるOという町に里帰りした。
急性骨髄性白血病で推定余命の期限をとっくに過ぎ、泉下の客になろうとしている父、熊谷亮輔の末期のためであった。
亮輔の帰宅に備えて、家の内装をリフォームしたりしていると、仏壇で昆虫の標本箱を発見する。
中には、ほんの三センチほどの小さな青い蝶が収まっていた。
1945年と2010年を、前肢の先端が欠けた儚い蝶とともにヒラヒラと往還する。
ラストで涙腺崩壊、考えさせられる作品
この文章を書いているのが八月十五日で、終戦記念日でした。
この作品は、この日に読んでほしいですね。
これは第二十六回小説すばる新人賞と第五回広島本大賞を受賞した作品です。
かつて戦争がありました。
多くの命が失われました。
こちらだけでなく、あちらもです。
そして、失われたものは命だけではありません。
物質的にも精神的にも、損なわれたものは大きいでしょう。
しかし、二度とあってはならないと誰もが考えている反面、戦争の実態は、それを体験した人にしかわからないでしょう。
どれほど過酷であったか、どれほど悲惨であったか、それを口頭で説明されたところで実感できない人が多いのです。
ビスマルクは「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」という言葉を残しました。
これは、分かりやすく説明すると、「馬鹿な奴は痛い目を見ないと分からないが、頭のいい奴は他人の失敗を教訓にして己にふりかかる災難を回避できる」ということです。
ここで言う頭の良さとは、知性があるかどうかということです。
知性があるということは、知識があるということとは別ですよ。
知性と知識の違いは、田坂広志さんの『知性を磨く 「スーパージェネラリスト」の時代』(光文社新書)に詳しいのでそちらに譲ります。
皆さんには是非とも賢者になっていただきたいものです(そういう私は、まだ賢者と呼べる人間ではないですが……)。
そして、この世から戦争をなくしてほしいです(他力本願かよ!)。
と、アンチ戦争という旗幟を鮮明にしたところで作品の内容に触れていきましょう。
主人公は熊谷亮輔。
1945年(昭和二十年)と2010年(平成二十二年)、過去と現在を行ったり来たりしながら、物語は進んでいきます。
昭和二十年の亮輔は中学一年生で、ある女性に好意を抱いていました。
八月六日の朝、亮輔はその女性と“一緒に蝶の羽化する瞬間を見よう”という約束をしていたのですが……。
わしはずっと八月を、くり返してきたんじゃ
上記は、この作品の“エピグラフ”(注1)として巻頭に載っていた亮輔の言葉です。
ここから彼の心情を推し量ることができます。
八月六日に、亮輔の心は囚われてしまったのですね。
彼女の消失と同時に誕生した青い蝶は、亮輔と彼女を“紐帯”(注2)する、この世にたった一つだけ残されたものでした。
作中で亮輔は、その蝶を〇〇さん(彼女の名前)と呼んでいます。
これは最初、現実逃避かと思ったのですが、どうやらそうではないようです。
それは、彼女が消えてしまったことや多くの同胞が亡くなったことや敗戦という辛い現実から目を背けるためではなく、むしろ辛さを忘れないためだったのです。
あの日から六十五年間、亮輔が青い蝶とともに携えたものは、実ることのない恋心と、町を焼く紅蓮の炎や皮膚が焼けて垂れ下がった同胞たちの光景です。
彼女を忘れないように胸に留めておくと同時に、戦争の痛みもまた、頭から切り離さなかった。いっそ全部なかったことにすれば楽でしょうに。
想像を絶する、という表現では生ぬるいでしょう。狂気を感じますね。
人はどうしてそこまで、誰かを想えるのでしょうか?
いや、むしろ、狂気を帯びてこそ愛なのかもしれませんね。
そんな風に、色々と考えさせられる作品でした。
特に、死期が近づいた亮輔が夢ともうつつともつかない意識の中で長々と述懐するシーンは迫力があります。私はじわじわと胸が詰まって、鼻水が垂れないようにすすった拍子に目から別の液体が零れていました。
そして、最後の一行を読んだ時、涙腺は決壊しました。今読み返してみてもウルッときましたもの。
テーマがテーマだけに…グロい
まあ、戦争で原爆だからね、当然、死体の表現はグロいですよね。
私的には大好物なんだけど、繊細な心の持ち主には耐えられないだろうなぁ。
他には取り立てて悪いところはないよ。
注1:文書の巻頭に置かれる句、引用、詩などのこと。
注2:ちゅうたい、と読む。二つのものを結びつけてつながりを持たせる、大切なもの。